夏の記憶

早く目覚めすぎた夏の朝。
縁側の向こう、夜明けに洗われた青い空。

築100年近い祖母の家に泊まった日の朝、僕は枇杷の木の根元へと急ぐ。朝の空気を掻き回して、待ち切れずに。
ほら。
昨夜縁側でむしゃぶりついて木の下に放っておいた西瓜の皮に、黒光りするカブトムシが3匹。
虫カゴに奴らを押し込んで、ようやく山の向こうから顔を出した太陽を仰ぐ。
鳴き始める蝉の声も高らかに。

僕の夏はいつも幸福だった。

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縁側から見る景色の中に枇杷の木がなくなったのは、いつだったろう。雑草が庭を覆い、縁側は土埃だらけ。
幸福だった夏は幻だったとしか思えない。

また幸福の夏が来ると指折り数えた梅雨のある日、祖母は亡くなった。
枇杷の木に縄をかけて、首を吊った。
元気だった祖母を見かけなくなったことに気がついた商店街の魚屋が変わり果てた姿の祖母を見つけたのだ。

三回忌を前に、祖母か住んでいた家の掃除に訪れた。

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あれから三年という時間が流れても、まだ信じられなかった。

僕は、枇杷の木の跡に立った。

祖母が亡くなってからすぐに、長男である僕の父は、他の親戚(要は彼女の子どもたちということだ)と緊急会議を開いた。

そして、枇杷の木を切る決断をした。

樹齢60年はあろうかという木だったが、誰も止めるものは居なかった。

恐らく、皆、目の前の悲しい情景から眼を逸らしたかったのだと思う。

asaya
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伐採した木の根元から祖母の遺書が見つかった。
祖父が亡くなり数年が経っても孤独は癒えず後を追って、ということだった。

枇杷の跡から離れ草の生える庭を歩く。
僕は枇杷の実が2つ、寄り添うように落ちているのを見つけた。見上げると隣の家から身を乗り出すように実る枇杷があった。僕は大切にそれを拾うと、縁側から家に入った。

掃除をする父に実を見せると「父さんと母さんの生まれ変わりか」と寂しそうに笑った。

しよこれいと
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寄り添った二つの枇杷を仏壇に供え、手を合わせた。写真の中の人はいつまでも微笑み続けるから、幸せな生涯だったのだと錯覚してしまいそうになる。

暫くして立ち上がった父は「空気が籠るけえ」とおもむろに重いカーテンを開け放った。
さっと強い光が差し込み、僕は反射的に目を細める。窓の外には、雨続きだった空が数日ぶりに青々と水を湛えたように光っていた。

僕は思わず身震いする。

あの夏が来ようとしていた。

虹のコヨーテ
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ぱっと輝くように、幸福な夏の場面がフラッシュバックする。
明け方の薄闇。大ぶりなカブトムシ。夏の匂い。眩しい陽光。あの枇杷の青々とした葉──。

ふと気がつくと、蝉の声が聞こえた。
「どうしたの、そんなところに立って。こっちの涼しいところへおいで」
瞬いた視界には、手招きをする祖母の姿。優しい笑顔で僕を呼んでいる。
「おや、なんで泣いてるんだい」
言われて、え、と頰をこすると、手の甲は濡れていた。

遠雷
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視界を戻すと祖母はもう消えていて、それでも涙は止まらなくて、僕は逃げるように家の裏の草むらに駆け込み、うずくまって泣いた。

築100年近い祖母の家。

訪れるのはいつも夏で、そこは刺すような暑さと眩しい青空のなか幸福に輝いていた。祖母とこの家はさながら憩いの木陰だった。
でも、僕はどれ程祖母とこの家の事を知っていただろう。
ここの冬さえ知らず、互いの生涯のほんの十四年重なっただけの。

モノ カキコ
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そう思ったとき「そうだ! 父に訊いてみよう」と心が囁いた気がした。
父ならこの家の事も祖母の事もよく知っているはずなのだから。

父は納屋の掃除をしていた。
僕が入っていくと「どした? なんか珍しい物でも見つけたか?」と声をかけてきた。
僕は首を振った。
「そんなのは見つけてないけど、ただ……さっき、おばあちゃんに声かけられた……気がして」
「そっか。姿は見たか?」
「うん。見た……気がする」

ぷにぷにヒロ坊
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そうか、と小さく呟いただけで、父は何も言わなかった。納屋の中には、祖母や祖父の物がそのまま残されている。
それらに触れては、どこか遠くを見つめる父は、僕の知らない祖母と祖父の記憶を辿っている。

「聞かせて、父さん」

呑み込まれそうな入道雲に、眩むほど鮮やかな世界。もう戻れないとわかっているから、記憶の中の夏は優しく、悲しい。

どこからかヒグラシの声がする。
夏が、すぐそこまで来ていた。

おちび
- 完 -

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