涙が錆びてついてしまったとしても

病に罹った。症状は、「感情によっての涙が出なくなる」こと。

診断結果を聞いたとき、僕は「よかった」と思った。だって、生活に不自由はないし、死に至る病気じゃないし、世の中には僕なんかよりもっと辛い思いをしている人たちがいるから。なぜお医者さんが僕を哀れむような視線で見ているのか、分からなかった。

伊藤
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僕はその日から普通に暮らした。重い病気じゃない。死に至ることもないし、苦しい思いもしない。普通に過ごしていたら誰にも気づかれないような病。
けれど、病気が発覚してから1年ほど経ったある日、ずっと付き合っていた彼女が神妙な面持ちで僕に問いかけてきた。
「ねえ……あなた絶対、私に涙を見せないわよね」
「えっ、そんなこと…」
「弱さを見せられないほど、私って頼りない?」
彼女の目から、一粒水滴が落ちた。

あきら
- 2 -

「違う、違うんだよ」
僕は症状について、僕自身が知っていることの限りを彼女に話した。
だけど、彼女の涙は一向に止まらない。むしろその勢いは増すばかり。
「どうして……」
彼女は慌てる僕を他所に、瞳から涙をポロポロ流す。
「どうしてそんな大事なこと、私に教えてくれないのよ」
ますます僕には理解できない。
「だって、泣けなくっても大した問題じゃないだろう」
思わず出た本音が、空気を凍らせた。

焼きそばぱん
- 3 -

「バカ! 大した問題じゃない? そんなわけないでしょ」
だから、涙なんて、皆が大騒ぎするほど大事なものじゃないのに。それとも僕がおかしいのだろうか。病にかかってしまったから、それで、涙の有り難みも一緒に忘れてしまったのだろうか。
「ごめん。君がそんなに怒るとは思わなかった。君のことは大切に思っているよ」
「その言葉信じてもいいの? 私が悲しんでいても、あなたは悲しむことができない癖に」

aoto'
- 4 -

僕はそれを聞いてドキッとした。
確かに、最近感情の起伏が緩やかすぎると感じる。これも、病気のせいだろうか…
「…ごめん」
「なんで謝るのよ。貴方は悪くないわ。こっちこそ、言い過ぎた」
そう言って、彼女は涙を拭う。
前までは、彼女が泣いていたら僕は責任を感じて一緒に泣くくらいだった。
彼女は、そんな僕を愛してくれたんだ。
涙が出ない今、僕は彼女に愛される資格があるのだろうか?

地球のおまわりさん
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彼女が泣いても、寄り添い慰められないだろう。
今後彼女と感動作の映画を観ても、感動を共有できないだろう。

それに今は涙が出ないだけの症状だが、進行するにつれて感情が無くなってしまったら?
泣くことも笑うことも出来なくなってしまうのではないか?
そんな不安がにわかに湧き上がった。

なぜ大した病気じゃないなんて思ったのだろう。
感情が無くなれば、それは死んでいることと同義ではないか。

トウマ
- 6 -

彼女との諍いから3日後。

僕は、別の病院を訪ねていた。
所謂、セカンドオピニオンというやつだった。
話を一通り聞いた医者は、穏やかに笑った。最初の医者とは対照的だ。

「この病気はね、目に見えない感情と向き合うことが大切なんですよ。」

首を傾げると、医者は続けた。

「涙なんかなくたって、悲しみや感動を表現することはできる。けれどもね、人は、涙みたいに目に見えるものに意味を見出しがちだ。」

asaya
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「……目に見えるもの」

「そう。内心では喜んでいても、笑っていなかったらそうは見えない。本当は深く悲しんでいても、涙が流れないから薄情者のように映ってしまう」

つまりそういうことですよ、と医者は微笑んだ。

「なら、どうすればいいんでしょうか」

僕が訊ねると、医者は柔和そうな自分の笑顔を指差して答えた。

「まずは、一つ一つの感情を愛すること。あとは、涙を流せない分だけ、笑えばいいんです」

遠雷
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「どうだった?」
帰るや否や、彼女はリビングからひょこっと顔を出した。
「定期的なカウンセリングを受ける事になったよ」
「そっか、じゃあ頑張らないとだね」
優しい声、優しい表情。彼女の挙手挙動が何だか普段より鮮明に見える。
錆つきつつある僕の感情が、軋みながらも動き出しているようだった。そのきっかけは、そうだ、いつだって君だったね。
「うん、ありがと」
だから先ずは、心の底から笑ってみようと思う。

瓶戸 みどり
- 完 -

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